読むことで救われる人とそうでない人

少し前のこと。母親とのLINEで、親族(父方の祖母)の認知症のことで両親と叔父夫妻が何とかやってはいるけど結構疲れているという話を知った。すぐに村井理子さんのツイートや連載のことが思い出されたので、村井理子さんの義父母の介護記録はおもしろくてためになりますよ、とこの記事のリンクを送った。

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これに対し、母親からは「そんなんすぐ出てくるところ、さすがだいもんじちゃんやな!」という返事がすぐに来た。私が文章を読むのが好きなことを母親はよく理解してはいるものの、その返信からは何となく「求めていたのと違うソリューションを提示された」という雰囲気が読み取れた。そのやりとりの少し前には「おばあちゃんに関しては文字化したくない苦労がいっぱい」とあり、それがまさに母親の気持ちの核心というか、私が本当にすべきだったのはすぐに電話をかけて、祖母のことに関する話であろうとなかろうと、母親の気が済むまで好きなことをしゃべらせてひたすら傾聴することだったのだと思う。でもそれはめちゃくちゃこっちにとってもエネルギーのいることなんや…

私は何か辛いことがあったとき、自分のと似たような体験が綴られた文章を読むことが大変救いになると常日頃から感じているが、そうでもないというか、それ以外の方法でつらさを解消するほうが確実ないし手っ取り早いと考えている人も少なからずいる。文章を読んで何か考えることは何物にも代えがたいとは思うものの、そのことも忘れないようにしたい。